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小田原史談会のホームページへようこそ!

 小田原史談会は小田原の歴史を語ろう、文化を創ろうという人たちが集まって1955年(昭和30年)に発足し、半世紀を超え活動をしております。

 小田原といわれて連想するものに、小田原城、仇討ちで有名な曽我兄弟、戦国の武将北条早雲、弥次喜多の五右衛門風呂騒ぎ、薪を背負った二宮金次郎などがあり、 それぞれ人によりあるいは世代により関心が異なります。また「小田原までは江戸の内」といわれて江戸の文化がかなり色濃く残る土地柄ゆえ歴史を語る口調にも粋な風情が感じられます。

 小田原地方を中心とする郷土の歴史を学びながら、先人の歩を後世に伝え、そして今、新しい時代に合う活動を始めて「温故知新」の道を歩みはじめています。

現在会員募集中!

トピックス

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『小田原史談』269号 発刊

北原白秋は大正8年から15年まで8年間小田原に住んでいた間、多くの童謡を創作している。また白秋の重要な詩集や歌集が世に出た。荒河純さんはその一つ長編散文詩集「雀の生活」が出来た背景や人間模様について論じている。
小田原市立図書館に眠る貴重なポスターを星野和子さんが今回は昭和22年から25年の終戦後の教育委員会選挙の講演会、こども文化博覧会などのポスターから当時の世相を読み解いている。
野村朋弘さんの「鎌倉時代の小田原を巡る(四)頼朝の乳母のいる荘園-早川荘」は鎌倉時代の小田原がどのような支配体制だったかについて早川荘を取上げている。

「こちら」をクリックする〔会報小田原史談〕のページで会報の目録をご覧になれます。

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「片岡永左衛門日記」

震災で倒壊した家から出てきた大正10年1月から11年12月の大正編日記は前回で読み終わり、明治35年4月からの明治編を輪読します。

明治35年5月24日~7月11日
天然痘種痘接種。国道修繕用浜砂利採取で海岸が後退し波濤で堤防破損し海岸住民より苦情あり。
煙草専門の篤農家で報徳二宮神社社掌草山貞胤氏当町共有地を模範畑用に借用で来談。 
斎藤緑雨に面会。小杉天外方を巡見。
赤痢患者1名発生したが、正式には町立避病院開設すべきであるが、医師1名他7名雇入れなければならず、財政負担多くやむを得ず。説諭し私立足柄病院に入院、患者自己負担となる。その後赤痢患者続発し止むを得ず避病院開設。
電話架設を出願。寺西氏町長就職固辞付拙者町長就職を勧誘されたが辞退。
徴兵検査は身長、眼力・耳鼻咽喉、身体の全体、学術試験を行う。甲は徴兵、乙は補充徴兵、丙は国民軍、丁は免役。小田原町で172名中合格者甲13名、乙34人。例年より不合格者多い。
近衛歩兵二大隊当町宿泊。兵士の宿泊三食三十銭で宿舎主は多少損害を受ける。

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「片岡永左衛門日記を読もう会」は月2回、毎月第2月曜日と第4月曜日の13時よりUMECOで実施しています。お試し聴講、歓迎! 
 参加希望の方は「お問合せ」から申し込みをお願いします。

 

「こちら」をクリックしますと〔片岡永左衛門日記〕のページをご覧になれます。

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『片岡日記・昭和編』好評発売中!

 書籍名: 『片岡日記・昭和編』(A4版 254頁)
 翻刻・編集: 小田原史談会「片岡日記を読む会」
 発行; 小田原史談会 
 発行日: 2021年11月10日  
 定価: 1000円(税込1100円)

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「片岡日記を歩こう会」

「片岡日記を歩こう会」は片岡永左衛門さんが日記で記す場所に私達も行って、歩こう、という会です。

11月は「駒ケ岳と箱根神社」です。 
「片岡日記を歩こう会」は永左衛門さんの足跡を追いかけ、紅葉の箱根神社を訪れ、万巻上人奥津城などを巡る。
駒ケ岳ロープウェイは強風により運休のため、予定していた駒ケ岳山頂には行けませんでした。

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「こちら」をクリックすると〔片岡日記を歩こう会〕のページをご覧になれます。

参加希望の方は「お問合せ」から申し込みをお願いします。

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「小田原おしゃべり倶楽部」

 3月は「下堀方形居館と志村一族」です。詳しくは「小田原おしゃべり倶楽部」のページをご覧ください。
              
 4月は「官道と関本宿」です。
 古代、行政区である東海道の官道は、 “足柄峠を越える道”でした。現在の関本は坂本と呼ばれ、「駅・駅家(うまや)」が設けられた。関本と呼ばれるようになったのは、鎌倉時代に入ってからで、江戸期に入ると、官道ルートは“箱根峠を越える道”が主となるが、それでも関本宿には「問屋場」があり、矢倉沢往還や甲州道の中継地点としての役割を担った。また、道了講や富士講の宿泊地として賑わった。天正18年(1590年)の秀吉の小田原攻めの時、 家康軍の中で“足柄城、新荘城を陥れた陣”のいずれかが関本宿に泊まった。そのお礼の「徳川の家紋入りの“壺”」を家宝にしている家がある。

      

「こちら」をクリックすると〔小田原おしゃべり倶楽部〕のページをご覧になれます。

5月は「十字町界隈に住んだ著名人たち(仮題)」です。


小田原おしゃべり倶楽部は毎月第2金曜日15時よりUMECOで実施しています。お試し聴講、歓迎! 聴講希望の方は「お問合せ」から申し込みをお願いします。 

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「鎌倉殿をめぐる人々と史跡を歩こう」

古代東海道ルートは足柄峠、坂本駅(関本)、小総駅(国府津付近)、箕輪駅であるが、坂本駅(関本)から直進し曽我郷から大磯丘陵の山沿いを通る鎌倉古道があった。
頼朝は富士の巻狩りの時に、曽我十郎は大磯の虎女に逢うためこの道を通ったという。
下曽我駅―六本松峠(足柄平野の眺望。白雄の句碑) ― 頼朝にちなむ将軍山、鎌倉山、大迎えの丘―川勾神社(相模国延喜式内社十三社の一社) ― 嘶き窪(いなくぼ)(馬蹄石) ― 吾妻山西麓 ― 二宮駅

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川勾神社東の尾根道

 次回は6月に鎌倉党と大庭御厨のテーマで周辺を見学する予定です。 

「こちら」をクリックすると〔鎌倉殿をめぐる人々と史跡を歩こう〕のページをご覧になれます。

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「曽我物語を追っかけよう」

「曽我物語を追っかけよう」シリーズは終了しました。代わって「鎌倉殿をめぐる人々と史跡を歩こう」シリーズが始まりました。
                     
「こちら」をクリックすると〔曽我物語を追っかけよう〕のページをご覧になれます。

小田原史談会入会募集中

皆様の入会をお待ちしております。

○会費 一般会員 年額3千円

○入会のお申し込みは「お問合せ」からどうぞ。

小田原史談会では「片岡日記を読む会」で郷土史家として活躍された片岡永左衛門氏が明治・大正・昭和と書き続けた日記のうち昭和元年~昭和9年の翻刻を進め、「片岡日記 昭和編」を発行しました。現在好評発売中です。
小田原市内の平井書店・有隣堂ラスカ小田原店・伊勢治書店ダイナシティウェスト店で販売中。
また、この小田原史談会ホームページからもご注文できます。
お問合せ」に、「『片岡日記』本を注文します」と明記して氏名・郵便番号・住所・電話番号を記載して送信してください。
なお郵送&振込の場合、送料+振込手数料が別途かかります。

会員の皆様には格安で頒布していますので、「お問合せ」に「『片岡日記』本を注文します」と併せて「会員」と明記の上申し込んで下さい。(会報「小田原史談」令和4年1月号もご覧ください。)