令和8年6月16日
〇っと近たび
「早川旧跡巡り」
大正12年の関東大震災後に再建されたレトロな木造駅舎の東海道線早川駅を出発し、東善院の大きな魚籃観音像を左手に眺めながら、海蔵寺へ向かった。
石垣山農道登り口近くの東海道新幹線高架下の稲荷社のお社内のハート形の目が刳りぬかれた板石碑。この目は魔よけの猪の目と云われている。

石垣山農道を挟んで海蔵寺参道反対側の小さな丘への小道を登って行くと五基の庚申塔がある。更に登ると頂上に天神社がある。
海蔵寺は久野総世寺、板橋香林寺と共に曹洞宗の小田原三寺と称せられた。本堂前のビランジュは市指定天然記念物。(国指定天然記念物の「早川のビランジュ」は箱根ターンパイク入口から300mのがけの急斜面に生えている)。本堂裏山の墓地には小田原合戦で病死した北の庄城主堀秀政の宝篋印塔の供養塔、佐賀藩士で日本の司法制度の発展に尽くし、函館控訴院長を引退後に小田原御花畑に隠棲し、能書家で、漢詩を詠んだ西岡逾明(海軍少将関重忠の後妻喜美子の父)の墓碑などを参拝見学。
久翁寺の民衆派詩人福田正夫の生誕100周年記念の詩碑を見学。武田信玄に駿河を追われた今川氏真は北条氏を頼って当地に住み、元亀3年父義元の13年忌仏事を当寺で行った。

真福寺・早川観音。 聖観音をお祀りしている観音堂内を拝観。観音堂前の早川観音茶店は毎月縁日の17日、 18日に営業している。真福寺境内の崖に冷えて固まる時にガスが噴出して出来たといわれる穴の明いた岩がある。

紀伊神社。永正17年(1520)の『木宮大権現由来記』によると、貞観15年(873)当地で亡くなった惟喬親王を従臣の小倉氏・加藤氏(現在も子孫といわれる家が早川の木地挽地区にある)が祀り、木地を挽いて遺族を養ったのが、関東の木地師の発祥といわれている 。(実在の惟喬親王は文徳天皇の第一皇子であったが母が紀氏であったので皇位に就けなかった。寛平9年(897)に京都の北の小野郷大森で亡くなった。木地師の祖といわれて、日本各地に惟喬親王伝説がある。)
参道入口右側の稲荷型の道祖神は市指定有形文化財。市内最大級のクスノキを含む市指定天然記念物の鎮守の森に囲まれた社殿で参拝した。
早川駅近くの青木食堂で昼食後に帰途に就いた

令和8年3月27日
〇っと近たび
-桜花咲く秦野盆地と湧水群をめぐる-
参加者13名、好天に恵まれ、秦野盆地南地区の桜と湧水群を巡ってきました。
湧水地は、5ヶ所を見学。どの湧水も特色があり、周囲の環境とマッチしてよく整備された湧水地帯だと感じました。「今泉あらい湧水公園」は、新しい住宅街の中にあって、子供たちが水に親しむようにと作られたビオトープのような細長い流水の池。「まいまいの泉」のまいまいとはカタツムリのことで、形がカタツムリの殻のような漏斗状の井戸なのでこの名前がついたものだといいます。今でも20㍍の地下から自噴している現役の湧水です。元気よく滾々と湧出していたのが「兵庫の泉」で、近所の人たちが水汲みと井戸端ばなしによく集まってくる場所になっています。隣には泉の名前の由来となった人物の子孫が開いている豆腐屋がありました。白笹稲荷神社では「ヒカリゴケの泉」と「一貫田湧水」がありましたが、どこから水が湧き出ているのか分かりにくい。宮司さんが本殿にまで上がらせてくれ、神社の由緒や歴史を穏やかな口ぶりで丁寧に説明してくれたのはとても有難かった。

兵庫の泉
桜の名所は3カ所。桜の満開まであと少しという感じでしたが、風情は十分が感じられました。圧巻は南小学校の校庭に咲くソメイヨシノで、樹齢135年にも垂々とする小学校のシンボルツリーであり、この地域の人々の誇りとなっている桜です。最後は太岳院に眠る考古学者の直良信夫氏のお墓をお参りし、今泉桜公園の池畔を縁取る桜道をそぞろ歩きし、予定時刻より遅れましたが、みなさん桜と湧水群を堪能して解散となりました。